2008年06月28日
値段が高いのにおいしくもない。それでも残しておきたいもの。
「おいしいこと」、「安全安心であること」、その先にある食の価値
本日は2番茶を摘みました。この茶園は祖父母と両親が山を切り開いて作った茶園です。4月から9月までウグイスの声が一日中、聞こえるとても自然豊かな茶園です。6月9日の記事でも書きましたが、お茶を刈っているとキツネが出てきたり、カモシカが現れたりしたこともありました。
しかし、管理は大変です。今日も最初は軽トラックが雨上がりの山道を滑って上がれなかったので、途中からは背負いかご(しょうかご)に道具を移し替えて登りました。祖父母や両親のいろいろな思いが詰まった茶園ですが、この先どうするのがいいのかなぁと考えながらお茶を刈りました。
今、食の価値は「おいしいこと」、「安全安心であること」、そして、できたら「安いこと」だと思います。それはまったく正しいことのように思いますが、本当にそうなのでしょうか?
山間地の水田は今ほとんど放棄され、中山間地の水田も作られなくなり始めています。(棚田の復活が話題になりますが、それはマスコミ受けするごく一部の場所です。)
自然が豊かな山間地のお米がおいしいそうというのはイメージであり、適地で機械化して大規模に作ったお米のほうがおいしいのです。静岡の山間地のお米はどうやっても秋田や新潟(魚沼産)のお米にかなわないし、同じ静岡でも平坦地の水田で作られたお米のほうがおいしいし、安いし、手が行き届くことから「安全安心」なのです。
我が家の茶園も、大規模に整備された茶園に比べ、「安いこと」、「おいしいこと」、「安全安心であること」すべてにおいて劣ります。
でも、この場所でお茶を摘んでいると、とっても豊かな気持ちになります。「なんかいいなあ」と思わずつぶやいてしまう、そんな幸せな気持ちになれます。
「値段が高いのにおいしくもない。管理が生き届かないので安全安心も怪しい。でも、自然と調和していて、先人たちの思いが詰まっている。そんな小さな水田や、山奥の茶園が自分たちの周りにあることで気持ちが豊かになり、幸せな気持ちになれる、そういうところに価値を見出すことができる。」 そういう考え方や生き方が注目され始めたらいいのになぁ、そのことを発信できるような仕組みができないかなぁ、・・・・・・・ そんなことを考えました。

しかし、管理は大変です。今日も最初は軽トラックが雨上がりの山道を滑って上がれなかったので、途中からは背負いかご(しょうかご)に道具を移し替えて登りました。祖父母や両親のいろいろな思いが詰まった茶園ですが、この先どうするのがいいのかなぁと考えながらお茶を刈りました。
今、食の価値は「おいしいこと」、「安全安心であること」、そして、できたら「安いこと」だと思います。それはまったく正しいことのように思いますが、本当にそうなのでしょうか?
山間地の水田は今ほとんど放棄され、中山間地の水田も作られなくなり始めています。(棚田の復活が話題になりますが、それはマスコミ受けするごく一部の場所です。)
自然が豊かな山間地のお米がおいしいそうというのはイメージであり、適地で機械化して大規模に作ったお米のほうがおいしいのです。静岡の山間地のお米はどうやっても秋田や新潟(魚沼産)のお米にかなわないし、同じ静岡でも平坦地の水田で作られたお米のほうがおいしいし、安いし、手が行き届くことから「安全安心」なのです。
我が家の茶園も、大規模に整備された茶園に比べ、「安いこと」、「おいしいこと」、「安全安心であること」すべてにおいて劣ります。
でも、この場所でお茶を摘んでいると、とっても豊かな気持ちになります。「なんかいいなあ」と思わずつぶやいてしまう、そんな幸せな気持ちになれます。
「値段が高いのにおいしくもない。管理が生き届かないので安全安心も怪しい。でも、自然と調和していて、先人たちの思いが詰まっている。そんな小さな水田や、山奥の茶園が自分たちの周りにあることで気持ちが豊かになり、幸せな気持ちになれる、そういうところに価値を見出すことができる。」 そういう考え方や生き方が注目され始めたらいいのになぁ、そのことを発信できるような仕組みができないかなぁ、・・・・・・・ そんなことを考えました。
Posted by しあわせ野菜ガルテン at 20:00│Comments(0)
│8、”農”への思い