2008年09月17日
シルクロードのオアシス都市を訪れて(その14)
イーニンの近郊にある建設兵団
明治のころ北海道の警備と開拓のために屯田兵が入植しましたが、同じような形で新彊ウイグル自治区の砂漠の中に、中国各地から建設兵団と呼ばれている屯田兵が新彊に入植しました。いわゆる国営農場であり、新彊各地に100近く作られました。
自分たちが訪れたところも、50年前は砂漠でしたが、今は2万ヘクタールの緑豊かな農地になり、2万人の人々が暮らす新しいオアシスの都市が出来上がっています。最初は集団による農業経営が行われていましたが、改革・解放政策以降は、一人当たり1~2ヘクタールの個人分担制となっています。
小麦、トウモロコシ、コウリャン、綿花、大豆、アブラナ、テンサイ、リンゴ、モモ、アンズ、各種の野菜の栽培、牛、羊、豚、牛、ニワトリの飼育とあらゆる物が作られており、麺を作るための製粉工場、砂糖工場、ジュス工場やパン工場など農産物を加工場もあります。



私たちの訪問に対して歓迎の昼食会を開いてくれました。その宴は村長さんのこんな言葉で始まりました。
「遠い日本からおいで下さいましてありがとうございます。
砂漠の中の何もない村ですが、ここにある野菜も果物もコメも小麦も肉も魚も、それから砂糖、ビール、ジュース、クッキー、すべて私たちの農場でとれ作ったものです。どうぞゆっくり食事をしながら楽しんでください。」
そして、楽しい食事会が長い時間続きました。自分はすごい贅沢だと思いました。
(追加)
実は自分が起業しようとしている、「自分で育てた野菜を、直接自分でお客様に、思いを添えてお届けする。」という農業スタイルの原点はここにあります。
遠い遠い砂漠の国で、 「いったい食することのしあわせって何なんだろう。」「農業の目的って何なんだろう。」と何回も何回も自問自答しながら考えたものでした。
「しあわせ野菜学園」というのもこの考え方からつけた名前です。
明治のころ北海道の警備と開拓のために屯田兵が入植しましたが、同じような形で新彊ウイグル自治区の砂漠の中に、中国各地から建設兵団と呼ばれている屯田兵が新彊に入植しました。いわゆる国営農場であり、新彊各地に100近く作られました。
自分たちが訪れたところも、50年前は砂漠でしたが、今は2万ヘクタールの緑豊かな農地になり、2万人の人々が暮らす新しいオアシスの都市が出来上がっています。最初は集団による農業経営が行われていましたが、改革・解放政策以降は、一人当たり1~2ヘクタールの個人分担制となっています。
小麦、トウモロコシ、コウリャン、綿花、大豆、アブラナ、テンサイ、リンゴ、モモ、アンズ、各種の野菜の栽培、牛、羊、豚、牛、ニワトリの飼育とあらゆる物が作られており、麺を作るための製粉工場、砂糖工場、ジュス工場やパン工場など農産物を加工場もあります。



私たちの訪問に対して歓迎の昼食会を開いてくれました。その宴は村長さんのこんな言葉で始まりました。
「遠い日本からおいで下さいましてありがとうございます。
砂漠の中の何もない村ですが、ここにある野菜も果物もコメも小麦も肉も魚も、それから砂糖、ビール、ジュース、クッキー、すべて私たちの農場でとれ作ったものです。どうぞゆっくり食事をしながら楽しんでください。」
そして、楽しい食事会が長い時間続きました。自分はすごい贅沢だと思いました。
(追加)
実は自分が起業しようとしている、「自分で育てた野菜を、直接自分でお客様に、思いを添えてお届けする。」という農業スタイルの原点はここにあります。
遠い遠い砂漠の国で、 「いったい食することのしあわせって何なんだろう。」「農業の目的って何なんだろう。」と何回も何回も自問自答しながら考えたものでした。
「しあわせ野菜学園」というのもこの考え方からつけた名前です。
Posted by しあわせ野菜ガルテン at 20:00│Comments(1)
│11、海外農業研修の思い出
この記事へのコメント
農業の四人の先生と書かれる程に歓迎されたのですね。
素晴らしい事ですよね。
素晴らしい事ですよね。
Posted by 吃到饱 at 2008年09月18日 22:09