2019年03月29日
農業と骨髄バンク
農業を始めるにあたって、利益の一部を海外植林ボランティアと骨髄バンク推進ボランティアに寄付することを目標にしています。
海外植林ボランティアについては別に記載してあります。
骨髄バンク推進ボランティアについては、具体的には「静岡骨髄バンクを推進する会」というボランティア団体を考えています。
この会は全国骨髄バンク推進連絡協議会に加盟している静岡県の骨髄バンクのボランティア団体で、静岡県保健衛生部や県内の医療機関と一体となって活動しています。平成4年に設立され、会の
事務局は静岡市にある静岡県総合福祉会館内にあります。
この会の立ち上げに自分は関わらせていただいています。
きっかけは自分の2才年下の弟が白血病になったことです。白血病や再生不良性貧血、免疫不全症は、かつては不治の病でしたが医療技術の進歩により治ることが可能となりました。その一つの手
段として骨髄移植があるのですが、弟が発症した当時は公的骨髄バンクが発足したばかりで登録者はごくわずかでした。
そこで新聞に「公的骨髄バンク事業をもっと普及してほしい。」という投書をしましました。投書欄だけでなく論説にも取り上げてくれたのですが、数日後、静岡新聞社のT記者から電話があり、
「このような活動はマスコミや行政が進めるのではなく、必要としている県民の皆様が活動することが大切ですよ。骨髄バンクを必要としている人をあと2人紹介しますので、その方たちとボラン
ティア団体を立ち上げませんか。」と言われました。「仕事があるし、ボランティアなんてできないよ。それになんで自分なの?」と思いましたが、新聞ででかでかと「平成4年4月29日、骨髄
バンクを支援するボランティア団体の発足検討会を開催」と予定報道をされてしまい、何が何だかわからないまま当日の壇上に立っていました。その後、たくさんの人がこの会に参加していただき
、今では会員数が250名、多方面から支援していただくことができる団体となりました。
最初の頃は骨髄バンクといってもほとんど通じず、骨髄と脊髄の違いの説明や、白血病が治る病気であることの説明から始めていました。当時は「愛人バンク」という言葉がはやっていた頃で、怪
しい団体のような感じで受け取られていたこともありました。
しかし、たくさんの仲間や、たくさんの励ましの言葉をいただいてとても楽しく活動ができました。
県の保健衛生部や新聞社にお願いに行く時にはとてもドキドキしたし、嘆願書を持って県知事に会った時に「自分は県知事と同じ高校です」などという話をしたことや県議会や静岡市議会や浜松市
議会で取り上げていただいたときにわくわくしながら傍聴したことなどとても貴重な体験です。
当時の教え子たちには、会の案内パンフレットの綴じ込みや県や国への嘆願書の整理を手伝ったりしてもらったり、休日のビラ配りやイベントの手伝いをしてもらい、本当に感謝しています。骨髄
バンクの活動を支援してくれている東ちずるさんやケントデリカットさんに出会えたり、Xジャパンのhideが支援していた関係で同じレーベルの のコンサート会場でチラシを配った後にコ
ンサートを見ることができたりなどというとても楽しい思い出もあります。
感謝しなくてはいけないことがたくさんありますが、多くの企業や個人の方からたくさんの寄付をいただけたことは会の活動でとても重要でした。歴代の会長や他の会員の皆様のもともとの社会的
な信頼性に寄るものではありましたが、まだ発足したばかりのボランティア団体に気持ち良く多額の寄付をしていただけた企業や個人の方のおかげで活動が継続できました。
ボランティア活動は実はお金がかかります。気持が一番大切ですが、イベントを開催する時にお手伝いをお願いする時に、休日を休んでいただいて、交通費と食事代を自己負担していただいて、場
合によっては活動経費も負担していただいてでは長続きはしません。
行政やマスコミや病院や赤十字、支援していただける企業、患者家族さんとの連絡を密にするには日常的に活動する必要があり、そのためには常駐のスタッフが必要です。
静岡県の場合、事務所を県の施設におかせていただいており他県のボランティア団体には大変うらやましがられますが、電気、ガス、水道、電話代など意外とかかります。ポスターやチラシを作る
経費だけでなくそれを保管する場所にもお金が必要です。現在会の活動は年間予算が約500万円、県の保健衛生部や共同募金からの助成もいただいていますが、半分以上は寄付金で賄っています
。
自分の弟は自分から2回の骨髄移植をしたのですが、1997年に他界してしまいました。自分は弟からいろいろと刺激を受けていて、今の自分があるのも弟がいてくれたからだと思っています。
「静岡骨髄バンクを推進する会」も発足してからすでに16年が経ち、会長も6人目となりました。自分自身の関わりは会計監査として1年間に数日活動するようになっています。しかし、まだま
だ、骨髄移植を必要としている患者さんはたくさんおり、そのための骨髄バンクを支援するボランティア団体の活動も必要とされております。
自分が農業を始めるにあたってその利益の一部をこの会の活動にお寄付できるような経営体にしたい、それが私の目標の一つです。 (2008年6月記す)
海外植林ボランティアについては別に記載してあります。
骨髄バンク推進ボランティアについては、具体的には「静岡骨髄バンクを推進する会」というボランティア団体を考えています。
この会は全国骨髄バンク推進連絡協議会に加盟している静岡県の骨髄バンクのボランティア団体で、静岡県保健衛生部や県内の医療機関と一体となって活動しています。平成4年に設立され、会の
事務局は静岡市にある静岡県総合福祉会館内にあります。
この会の立ち上げに自分は関わらせていただいています。
きっかけは自分の2才年下の弟が白血病になったことです。白血病や再生不良性貧血、免疫不全症は、かつては不治の病でしたが医療技術の進歩により治ることが可能となりました。その一つの手
段として骨髄移植があるのですが、弟が発症した当時は公的骨髄バンクが発足したばかりで登録者はごくわずかでした。
そこで新聞に「公的骨髄バンク事業をもっと普及してほしい。」という投書をしましました。投書欄だけでなく論説にも取り上げてくれたのですが、数日後、静岡新聞社のT記者から電話があり、
「このような活動はマスコミや行政が進めるのではなく、必要としている県民の皆様が活動することが大切ですよ。骨髄バンクを必要としている人をあと2人紹介しますので、その方たちとボラン
ティア団体を立ち上げませんか。」と言われました。「仕事があるし、ボランティアなんてできないよ。それになんで自分なの?」と思いましたが、新聞ででかでかと「平成4年4月29日、骨髄
バンクを支援するボランティア団体の発足検討会を開催」と予定報道をされてしまい、何が何だかわからないまま当日の壇上に立っていました。その後、たくさんの人がこの会に参加していただき
、今では会員数が250名、多方面から支援していただくことができる団体となりました。
最初の頃は骨髄バンクといってもほとんど通じず、骨髄と脊髄の違いの説明や、白血病が治る病気であることの説明から始めていました。当時は「愛人バンク」という言葉がはやっていた頃で、怪
しい団体のような感じで受け取られていたこともありました。
しかし、たくさんの仲間や、たくさんの励ましの言葉をいただいてとても楽しく活動ができました。
県の保健衛生部や新聞社にお願いに行く時にはとてもドキドキしたし、嘆願書を持って県知事に会った時に「自分は県知事と同じ高校です」などという話をしたことや県議会や静岡市議会や浜松市
議会で取り上げていただいたときにわくわくしながら傍聴したことなどとても貴重な体験です。
当時の教え子たちには、会の案内パンフレットの綴じ込みや県や国への嘆願書の整理を手伝ったりしてもらったり、休日のビラ配りやイベントの手伝いをしてもらい、本当に感謝しています。骨髄
バンクの活動を支援してくれている東ちずるさんやケントデリカットさんに出会えたり、Xジャパンのhideが支援していた関係で同じレーベルの のコンサート会場でチラシを配った後にコ
ンサートを見ることができたりなどというとても楽しい思い出もあります。
感謝しなくてはいけないことがたくさんありますが、多くの企業や個人の方からたくさんの寄付をいただけたことは会の活動でとても重要でした。歴代の会長や他の会員の皆様のもともとの社会的
な信頼性に寄るものではありましたが、まだ発足したばかりのボランティア団体に気持ち良く多額の寄付をしていただけた企業や個人の方のおかげで活動が継続できました。
ボランティア活動は実はお金がかかります。気持が一番大切ですが、イベントを開催する時にお手伝いをお願いする時に、休日を休んでいただいて、交通費と食事代を自己負担していただいて、場
合によっては活動経費も負担していただいてでは長続きはしません。
行政やマスコミや病院や赤十字、支援していただける企業、患者家族さんとの連絡を密にするには日常的に活動する必要があり、そのためには常駐のスタッフが必要です。
静岡県の場合、事務所を県の施設におかせていただいており他県のボランティア団体には大変うらやましがられますが、電気、ガス、水道、電話代など意外とかかります。ポスターやチラシを作る
経費だけでなくそれを保管する場所にもお金が必要です。現在会の活動は年間予算が約500万円、県の保健衛生部や共同募金からの助成もいただいていますが、半分以上は寄付金で賄っています
。
自分の弟は自分から2回の骨髄移植をしたのですが、1997年に他界してしまいました。自分は弟からいろいろと刺激を受けていて、今の自分があるのも弟がいてくれたからだと思っています。
「静岡骨髄バンクを推進する会」も発足してからすでに16年が経ち、会長も6人目となりました。自分自身の関わりは会計監査として1年間に数日活動するようになっています。しかし、まだま
だ、骨髄移植を必要としている患者さんはたくさんおり、そのための骨髄バンクを支援するボランティア団体の活動も必要とされております。
自分が農業を始めるにあたってその利益の一部をこの会の活動にお寄付できるような経営体にしたい、それが私の目標の一つです。 (2008年6月記す)
Posted by しあわせ野菜ガルテン at 00:00│Comments(0)
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