はまぞう › 光陽の里・しあわせ野菜ガルテン › 11、海外農業研修の思い出
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2008年12月25日

フィリピンで木を植える(その12)




この研修はオイスカ静岡県支部が主催した地球環境再生森林フォーラムです。
雨季であったために草が生えていて緑が豊かに感じましたが、山に木はなく鳥や昆虫がいませんでした。
風の音だけがする「沈黙の春」です。
この原因を作ったのは日本です。
日本にいると実感はありませんが、事態は想像以上に深刻です。
何とかしないといけないのでしょうね。
  
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2008年12月21日

フィリピンで木を植える(その11)

2006年の夏、フィリピンへ植林をしに行ってきました。
参加者は大人17名と高校生9名。
いろいろなことを考えさせられました。



フィリピンは子供が多いのが特徴です。
5人兄弟や7人兄弟は当たり前、どこにいっても子供たちが大勢で遊んでいました。



貧富の差は大きく電気も水道も通っていないそまつな家に住んでいる人もいます。
右の兄弟は学校に通っていません。




社会の基盤整備も遅れています。
道路が途中で川となっているところがあったり、農産物の収穫に水牛が使われていたり、人がバスの屋根に乗って移動するなどといった風景が見られます。



「首輪のない犬は吠えない。」
放し飼いにされている犬が吠えないのにも驚きました。吠えないから怖くもありません。
危険ということで首輪をつけてつなぐことになってしまった日本の犬は良く吠えます。
もしかしたら、教育においても同じようなことが行われているのかもしれません。
  
タグ :フィリピン


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2008年12月19日

フィリピンで木を植える(その10)

2006年の夏、フィリピンへ植林をしに行ってきました。
参加者は大人17名と高校生9名。
いろいろなことを考えさせられました。

英語とフィリピン






 フィリピンの公用語は英語とタガログ語です。
 テレビ番組や新聞は英語で、英語を話すことができる人口はアメリカとイギリスに次いで3番目に多い国です。
 (フィリピンの人口は8600万人、英語を話すオーストラリアやニュージランドよりも人口が多いのです。)

 今、日本では英語教育がとても盛んです。英語が話せることは大学入学を有利にし、社会人としての武器になり、豊かな生活を得られる手段のように考えられています。
 しかし、英語を話すことができるフィリピンは経済的には豊かな国ではありません。
 仕事がなく、平日の昼にもかかわらずたくさんの若い男性が道の周辺でたむろしていました。
 その人たちもみんな英語を話せます。
 最大の産業は労働力の輸出であり、外国への出稼ぎ者から送られる仕送りで経済が支えられています。

 街中にあふれる日本製の車を見ながら、英語は手段であり、大切なのは自ら考え、技術を磨き、新しい時代を切り開いていく力なんだろうなと思いました。  
タグ :フィリピン


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2008年12月17日

フィリピンで木を植える(その9)

2006年の夏、フィリピンへ植林をしに行ってきました。
その時に行った世界遺産の棚田(ライステラス)です。

紀元前から作られ始め、標高差600メートル以上あり、上のほうは雲がかかっていました。
「天国への階段」と言われ、世界で8番目の不思議とされています。
正直とても驚きました。




  


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2008年12月15日

フィリピンで木を植える(その8)

「日本の牛はフォアグラだ。」

占領国だったアメリカの影響でフィリピンでは料理によく牛肉が使われています。
そのために、フィリピンの野山ではいたるところで牛が放牧されているのですが、この牛が砂煙をあげて走り回っています。

あまり大きくなく、やせて皮だらけに見えた牛が食用の肉牛だと知ったときは驚きました。
実際日本の牛肉のような上品さはありません。
しかし、考えてみるとあのやせた牛の姿こそ自然の牛の姿です。
野山に生えている草を求めて動き回っている牛が考えてみたらそうそう太るわけがありません。
日本の牛は一日中狭い枠の中につながれており、食するのは海外から輸入されたトウモロコシなどの濃厚飼料です。
日本の牛達は走らないのではなく、太って走れなくなってしまったのです。
丸々太った毛並みのいい日本の牛は、考えてみるとフォアグラと同じで自然の姿ではないのかもしれません。

この痩せたヤギも食用です。
この2時間後に食させていただきました。


フィリピンの高級料理、子ブタの丸焼き。顔もそのまま焼かれて出てきます。
祭りとか結婚式とかに出てくる晴れの日の料理で、こんがりきつね色に焼かれた皮はパリパリしていてとても美味しいです。
レチョンソース(レバーを使った甘いソース)につけて食べます


  


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2008年12月13日

フィリピンで木を植える(その7)

フィリピンへ植林をしに行ってきました。
東南アジアでは木は自然に再生するもので、植林ということが行われていませんでした。
しかし、大規模な森林伐採のため、はげ山になってしまった場所には植林をしないと木が再生されないのです。



現地の小学生と一緒にやった植林。
大規模に伐採された森林は植林をしないと再生されません。
植林さえしてあげれば、高温であるために20年くらいで森林となります。
教えているのは一緒に行った天竜林業高校の生徒です。






小学校3校行き、子供たちと植林をしました。
大歓迎してくれたので、とても驚きました。
私たちのために、歓迎会まで開いてくれました。練習を何回もして迎えてくれたそうです。
日の丸とフィリピンの国旗は手作りしたもので、学校中に飾られていました。
一本いただいてきて今でも飾ってあります。





小学校での交流会の様子。
子供たちは、言葉が通じなくても交流することができます。
でも、大人たちはできません。ダメですね。  
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2008年12月11日

フィリピンで木を植える(その6)

2006年の夏、フィリピンへ植林をしに行ってきました。
熱帯林の減少は地球温暖化や生物の絶滅に関連した重要な問題です。
日本にいると実感はありませんが、事態は想像以上に深刻です。

「植林は日本が誇れる農業技術である」




穴を掘り苗木を植えることが農業技術だといわれても最初はピンと来ませんが、植林は日本が誇れる農業技術です。

熱帯地方における森林は自然に再生されます。
だから、植林ということをしたことがありません。
かつての小規模な焼き畑農業はとても自然に優しい農業でした。

しかし、現在の伐採は森の自然再生が不可能なほどの大規模なものです。
そんな、森林伐採が行われているにもかかわらず、植林という概念がないため、はげ山だらけになっています。

豊かな水と温度はあるので、植林さえすれば15年程度で森林が復活するのに、「木を植える」という発想がないのです。
東南アジアの山をはげ山にしてしまった一番の加害者は日本です。
だから、日本人が行って植林という技術を伝えなくてはいけないのです。
   


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2008年12月09日

フィリピンで木を植える(その5)

2006年の夏、フィリピンへ植林をしに行ってきました。
参加者は大人17名と高校生9名。
いろいろなことを考えさせられました。



街の中にはいろいろな場所で野菜や果物、肉が売られています。
種類も量もとっても多彩で新鮮です。
東南アジアはどこに行っても味の素が大量に売られています。



フィリピンで食べた食事です。
ご飯はインディカ米、干した肉や干した魚を油で揚げたものや、酸味のきいた野菜スープが代表的なフィリピン料理です。
行く前は食事が食べられるか心配でしたが、とてもおいしくいただけました。

また、初めて犬の肉と内蔵を食べました。酸っぱくて意外と美味しかったです。

そういえば、卵の中でヒヨコになり始めている茹で卵というのも食べました。栄養的には非常に優れています。
食事は文化です。
その土地の人がおいしいと言って食べているものを笑顔で食べると、とっても親しく話しかけてきてくれます。
3個目でやっと、ヒヨコになり始めている茹で卵を笑顔で食べることができました。  
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2008年12月07日

フィリピンで木を植える(その4)

2006年の夏、フィリピンへ植林をしに行ってきました。
熱帯林の減少は地球温暖化や生物の絶滅に関連した重要な問題です。
日本にいると実感はありませんが、事態は想像以上に深刻です。

「沈黙の夏」



とてもきれいな風景ですが、鳥や虫や小動物がいません。
だから、とっても静かです。

日本では雀、セキレイ、ヒヨドリ、ムクドリ、ドバト、カラス、トンビ・・・考えてみると、名前は知らなくてもいろいろな鳥がいます。
山の中にいるとたくさんの鳥や虫の声が聞こえてきます。

フィリピンでの植林中に一番違和感があったのは鳥の鳴き声がしなかったことです。
鶏やアヒルなどの家畜はいたるところで放し飼いにされているのですが、空を飛ぶ鳥は一回も見ることがありませんでした。

夏は雨季であるために草が生えているために遠くから見るととてもきれいな風景ですが、木が生えていないために乾季には文字通りはげ山になります。山に木がないために鳥の餌になる小動物や虫たちはいません。

夏の真っ青な空と草に覆われた山々の中にいて、聞こえるのが風の音だけという風景は何かとても気味が悪いものでした。
  


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2008年12月05日

フィリピンで木を植える(その3)

2006年の夏、フィリピンへ植林をしに行ってきました。
参加者は大人17名と高校生9名。
いろいろなことを考えさせられました。



太陽の8つの光は、独立運動に立ち上がった8つの州を、下部の赤い色は勇気、上部の青い色は高い政治目的、左側の白い色は平和を表しています。戦争時には赤い色を上側にして掲げるそうです。



7000以上の島々からなる国、島の数は世界で1番目です。有名なのはルソン島、セブ島、ミンダナオ島、首都マニラはルソン島にあります。日本からの飛行時間は約4時間です。



首都マニラは人口960万人の大都市で、街は高層ビルが立ち並んでいます。しかし、一方ではスラム街もあり、トタンでできた粗末な小屋が立ち並んでいました。



マニラから植林地に向かうバスの中からの景色。
はじめてみるフィリピンは、青い空がとても印象的な国でした。



フィリピンは太平洋戦争の激戦地。
この場所は日本軍が最後に立てこもって降伏した場所です。

参加者の中には、遺骨収集団として30回もフィリピンを訪れている方がおり、その方から戦争の話をたくさん聞きました。
今、フィリピンからフィリピンパブを連想する人と、戦争を連想する人とどちらが多いかというと、圧倒的にフィリピンパブだと思いますが、本当はそれではいけないのでしょうね。自分も大反省です。



ジプニーと呼ばれるフィリピン独特の乗り合いバス。もともとはジープを改良していたのですが、今では日本から輸入した中古の日本車のトラックを改良しつくられています。
  
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2008年12月03日

フィリピンで木を植える(その2)

2006年の夏、フィリピンへ植林をしに行ってきました。
熱帯林の減少は地球温暖化や生物の絶滅に関連した重要な問題です。
日本にいると実感はありませんが、事態は想像以上に深刻です。



フィリピンの山は、1960~70年代に日本への木材輸出と農産物輸出のために森林を大規模に伐採してしまいました。
さらに、その後の人口の爆発的な増加に伴い、食料の確保と燃料としての薪のために伐採が進みました。
このように大規模に伐採された熱帯林は、もう自然のままでは元に戻ることができません。
そのためにいたるところで崖崩れが発生していて岩肌が露出しています。

山に木がないと、降った雨は地下で濾過されることなく流れ出てくるために川の水はきれいになりません。
白く見えるのは道ではなく川です。降った雨は川に流れ込み、がけ崩れなどの土砂災害がいたるところで起こします。
白くにごった川には魚もあまりいません。

そして、魚だけでなく、今回の研修中には鳥を見ることがありませんでした。
山に木がないために昆虫や動物も少なく、それらを食べる鳥が住むことができないのです。

(追加)
1960~70年代に伐採し尽くされてしまったフィリピンに変わって、日本への木材輸出国となったのはマレーシアとタイです。
そこの熱帯林もほぼなくなり、インドネシアのボルネオ島に移り、今はパプアニューギニアの熱帯林が日本への木材一大供給地になっています。








  


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2008年12月01日

フィリピンで木を植える(その1)

2006年の夏、フィリピンへ植林をしに行ってきました。
熱帯林の減少は地球温暖化や生物の絶滅に関連した重要な問題です。
日本にいると実感はありませんが、事態は想像以上に深刻です。

「本当にはげ山だった。」



車窓から見えるフィリピンの風景は、見渡す限りの広大な水田に稲が植えられ、その向こうに見える山々は緑で覆われており、とても自然豊かに思えました。
しかし良く見ると山には木がありません。
私たちが訪れた8月は雨季であり、草が生えているために遠くから見ると緑色に見えるのですが、木はまばらです。
先進国への木材輸出、人口増加に伴う燃料としての木材の切り出しと農地化、牛の放牧などのため木を切り出し、そのまま植えられることなく放置された結果です。


  


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2008年09月24日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その16)

最後に

 シルクロードに行ってみて痛感したのは、自然も人々の暮らしも多様であり、与えられた情報がすべてだと思ってはいけない、思い込みで判断してはいけないという事です。テレビや本で知っていた雄大な自然や、文化の異なる人々の暮らしなど、自分がイメージしていた通りのものがあり、とても感動したかと思うと、自分が思いもしなかった事に出会って、呆然とするという事がよくありました。オアシスでコメが作られたり、高層ビルがあったり砂漠に雨が降ったり、携帯電話や光ファイバーが普及していたり、おしゃれな女の子がいたり、テレビがあって日本のマンガをやっていたり、ディスコやカラオケもありました。
  いろいろな自然や人間がいて、世の中は成り立っており、価値観もひとつじゃないから比較はしても否定をするものではないのだと思いました。


  


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2008年09月21日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その15)

ヤルカンドのウイグル人の農家




 このウイグル人の農家では牛5頭、羊25頭、ニワトリ40羽、ハト100羽、ガチョウ2羽を飼育し、1ヘクタールの農地で小麦、トウモロコシ、リンゴ、モモ、アンズを作っています。

 販売先を聞こうと思って、「飼っている動物や、育てた野菜をどうしていますか」という質問をしました。
 なんという答えが返ってきたと思いますか?


 その答えは「食べています。」です。

 実際は、自分たちが食べきれないものは市場に持っていって現金収入を得ているそうですが、”自分たちが食べるために農作物を作り家畜を飼う”、考えてみたらそれが農業の基本です。
 「日本の農家は良いものを市場に出して、残りを自分たちで食べています。」と話したら、「そんなにお金に困っていないから、おいしいのは自分たちで食べるよ。」とのことでした。  


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2008年09月17日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その14)

イーニンの近郊にある建設兵団

 明治のころ北海道の警備と開拓のために屯田兵が入植しましたが、同じような形で新彊ウイグル自治区の砂漠の中に、中国各地から建設兵団と呼ばれている屯田兵が新彊に入植しました。いわゆる国営農場であり、新彊各地に100近く作られました。
 自分たちが訪れたところも、50年前は砂漠でしたが、今は2万ヘクタールの緑豊かな農地になり、2万人の人々が暮らす新しいオアシスの都市が出来上がっています。最初は集団による農業経営が行われていましたが、改革・解放政策以降は、一人当たり1~2ヘクタールの個人分担制となっています。
 小麦、トウモロコシ、コウリャン、綿花、大豆、アブラナ、テンサイ、リンゴ、モモ、アンズ、各種の野菜の栽培、牛、羊、豚、牛、ニワトリの飼育とあらゆる物が作られており、麺を作るための製粉工場、砂糖工場、ジュス工場やパン工場など農産物を加工場もあります。
 



 私たちの訪問に対して歓迎の昼食会を開いてくれました。その宴は村長さんのこんな言葉で始まりました。

 「遠い日本からおいで下さいましてありがとうございます。
 砂漠の中の何もない村ですが、ここにある野菜も果物もコメも小麦も肉も魚も、それから砂糖、ビール、ジュース、クッキー、すべて私たちの農場でとれ作ったものです。どうぞゆっくり食事をしながら楽しんでください。」
 そして、楽しい食事会が長い時間続きました。自分はすごい贅沢だと思いました。


 (追加)

 実は自分が起業しようとしている、「自分で育てた野菜を、直接自分でお客様に、思いを添えてお届けする。」という農業スタイルの原点はここにあります。
 遠い遠い砂漠の国で、 「いったい食することのしあわせって何なんだろう。」「農業の目的って何なんだろう。」と何回も何回も自問自答しながら考えたものでした。
 「しあわせ野菜学園」というのもこの考え方からつけた名前です。
 
  


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2008年09月09日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その13)

・愛しのトルファン
 上海から4000kmも離れているのにトルファンの平均高度はたったの24m、一番低いところは海抜マイナス154メートルで、死海に次ぐ世界で2番目に低いところです。
 すり鉢型の盆地であるためにとても暑く、農家の訪問は夜の10時半に行われましたが、その時でも40度を越していました。
 朝は6時から10時頃まで働き、昼寝をして、夕方6時頃から8時位まで働くそうです。
 しかしこの暑さは、乾燥した空気と一緒になって、トルファンを世界で一番おいしい干しブドウの産地として富を与えており、農家の平均年収が3万元と沿岸部と同程度の収益を得ています。

カレーズでブドウを洗うウイグルの少女
 カレーズとは地下水道のこと。遠く天山山脈から流れ出す雪溶け水が引かれている。この水を使って作られるトルファンの干しブドウは世界一おいしいと言われている。
 この日の温度も40度を越していた。とても暑かったこと、水が冷たかったこと。そして少女がとても美人だったことが印象に残っている。


この街だけの風が、光が、匂いが、人の優しさがある。いつになっても失われない。必ずまた行きたくなる、忘れられなくなる。・・・そんなことから「愛しのトルファン」と呼ばれている。
 (地球の歩き方より)


トルファンのブドウ畑 
 ブドウは乾燥地帯が大好き。トルファンの夏はとても暑く、そして冬はダイアモンドダストが舞う。その気候ときれいな水が良質のブドウを作る。
 「ブドウがうますぎる。」がトルファンの感想。



海抜ゼロメートル地点
 トルファンは中国大陸の内陸部にありながら平均高度は24m。一番低いところは海抜マイナス154メートルと、死海に次いで世界で2番目に低い。3000m級の山々に降った雪解け水が集まってくるオアシス都市である。


星の下で寝る。
 トルファンの夏はとても暑い。農家は朝6時から10時まで働き、昼はゆっくりして夕方6時から8時くらいまで働く。この日は夜の10時30分に農家に訪問した。
 子供が外で星を見ながら寝かされていた。僕はとてもいいと思った  


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2008年09月05日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その12)

・農地の所有

 社会主義国家である中国では土地は国のものです。農地も地区ごとに、所有する農地を農業をやりたい人に対して割り振ります。20年位毎に割り振りをし直しますが、継続して行う場合は基本的にはなるべく同じ場所で農耕を続けられるようになっています。自分の農地だからといって家を建てたりすることはできません。
 改革・開放政策以前は作るものも決められていましたが、現在は何を作っても構わない事になっており、農業生産が飛躍的に伸びています。  
 トマト栽培でカゴメが、ホップ栽培でサントリー、サッポロ、キリンが進出してきています。

山積みのトマト
 乾燥しているのでトマトがうまい。日本からはカゴメが進出してきている。
 乾燥を好むホップも作られ日本のビール会社も来ている。


・ポロという町の近くの漢民族の農家

 家族一人に対して0.5ヘクタール(150坪)の農地が割り振られており、7人家族で3.5ヘクタールを耕作していました。米、ハミウリ、スイカ、綿花を栽培していました。
 水は川からの灌漑用水による場合と、地下水をポンプでくみ上げる場合がありますが、ここでは地下水を利用していました。近年天山山脈に降る雪の量が減っているとの報告もあるのですが、現在は水不足で困っていることはないそうです。
 砂漠の農業は水さえあれば、大変良いものを作ることができます。乾燥しているために雑草や病害中が少ないので、農薬をあまり必要としません。家畜が多いので肥料も有機肥料が中心です。太陽光線を充分に浴びて光合成が活発に行われ、夜は温度が下がるので品質が良い農産物がたくさんできます。
 
温室メロンよりおいしいハミウリ
ハミウリはスイカの仲間。鮮度が大切でここでしか食べられない。本当においしい。
種をもらってきてメロン温室で栽培してみました。乾燥を好むので支柱とネットを使って空中栽培をしてみました。いろいろな方に食べてもらいましたが、間違いなく温室メロンより美味でした。

塩類集積
 砂漠での農業の問題は水不足より、水の蒸発にともなう地表面への塩類の集積で、地表面に肥料分が吹き出して白くなっているところが目に付いた。土の表面が塩で真白である。  


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2008年09月01日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その11)

「砂漠の舟」 ラクダ

 アフリカの砂漠のラクダはヒトコブ・ラクダ、シルクロードで活躍したアジアのラクダはフタコブ・ラクダです。
 野生のラクダはすでに絶滅し、すべて家畜なのですが、普段はオアシスの外の荒原に放し飼いにされていて、春の毛を刈るシーズンになると探しに行くそうです。今でも砂漠の探検が時々行われるそうですが、その際の主役は今でもラクダです。

地平線とラクダ
 ラクダは普段はオアシスの外の荒原に放し飼いにされている。車で走っていると突然ラクダが現れびっくりする。

湖でくつろぐラクダ
 シルクロードのラクダにはコブがふたつある。眼がとてもかわいらしい。


働き者のロバ

 シルクロードの一番の働き者はロバです。小さな体で重たい荷物を黙々と運びます。とても可愛らしいのですが、めったに聞くことはない泣き声はとても悲しげで、哀愁を誘います。
 「神様が動物たちに声を与えようとして集めたときに、あまりにもおとなしいので神様が気が付かないでいて、最後に気がついた時にはこんな悲しげな声しか残っていなかった。」そんなことを考えてしまうくらい悲しい声で鳴きます。
 


(追加)
 ロバはそんなに働き者でおとなしいのに、人間はロバのオスと馬のメスを交尾させて、ロバのように黙々と働き、馬のように力づよいラマという雑種も作り出しています。なんてことでしょう。


 犬と猫

 シルクロードのオアシスに飼われている犬はとっても恐くオオカミではないかと思ったくらいでした。
 民族の興亡の舞台であるシルクロードでは恐くない犬は価値がありません。

 猫を外で見ることは一度もありませんでした。猫は家の中でネズミを取るのが好きだから外に出てくることはないそうです。
 私は小さな頃、飼っていたハトや小鳥や金魚を野良猫に襲われた経験があって、中国や東南アジアでニワトリが放し飼いにされているのに、なぜ猫に食べられてしまわないのかとても不思議でした。どうやら猫はネズミがいればニワトリやハトやアヒルは襲わないのです。
 日本ではネズミを身近な場所から駆逐しておいて、一方では猫は増えて、結果的に猫がネズミを食べることが無くなってしまったんでしょうね。
 今では多くの猫はキャットフードを食べていてハトや小鳥を襲うこともめったにありません。猫にとって、幸せなのか不幸せなのかよくわかりません。  


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2008年08月28日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その10)

・ひとりっ子政策

 中国はひとりっ子政策を行っていますが例外もあり、新彊ウイグル自治区では農民と少数民族が優遇されています。
 食料の増産が見込められる新彊では、中国13億の人民のために農民は2人まで子供を産むことができます。
 また、民族のバランスの問題から少数民族は実質的には何人でも子供を産むことができ、子供が6人とか8人という家もありました。子供の遊び場は外であり、どこに行っても子供だらけという感じでした。

 
子だくさんの少数民族 (パオの中にて)
 中国はひとりっ子政策をとっているが、少数民族は優遇されていてたくさんの兄弟姉妹がいる。
 写真はカザフ人の兄弟達。

(一人っ子政策の特例)
 中国はいろいろな場面で日本で知られている原則とは違った特例に出くわします。
 静岡大学の大学院へ留学している張さんという女性が通訳として一緒に参加しましたが、彼女は結婚していて子供が二人います。
 優秀な子供は国の宝であるので、海外の大学院の博士課程に留学した場合、結婚していれば留学中は子供を何人でも産んでもいいそうです。なんか、すごいですね。


・核家族と大家族

 中国では民族によって核家族制度と大家族制度に分かれます。
 9割を占める漢民族は核家族です。社会主義により男女平等も実現しているので、考え方が日本よりアメリカ的のところがあります。
 ウイグル民族も核家族で、結婚したら親と別居をします。しかし、子供の自立を果たすのは親の役目だそうで、結婚前に親は子供に家を建ててあげなくてはいけません。
 パオに住むカザフ人、キルギス人も核家族制で結婚したら新たにパオを作り独立します。パオの内部は見た目以上に大きく、家族はひとつのパオで暮らします。

 大家族なのはダジク人で、男の子供は長男でも次男でも三男でも結婚しても奥さんと一緒に親と一緒に住みます。部屋は独立していてとても大きな家ですが、食堂や居間はひとつです。家長がなくなると初めて独立します。自分たちが訪問した家では58歳の家長の元に28人がひとつの家族として暮らしていました。

大家族制のタジク族
 タジク族はタジキスタンと同じ民族。大家族制で男の子供は結婚しても同じ家に住んでいる。そのために家はとても大きくたくさんの部屋に分かれている。この家は28人家族である。
 ヤク28頭、牛22頭、ヤギ40頭、羊20頭、ウマ、ロバ一頭、鳩100羽(ハトも食べる)を飼い、畑は2,5haで小麦とヒエと豆を作っている。


パオ
 パオの中は思った以上に広く、そしてきれい。手の込んだ絨毯に囲まれている。




  


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2008年08月22日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その9)

イスラム教
 
 イスラム教は豚を食べないので料理は主に羊肉を使います。日本で食べる羊は臭くてあまりおいしくないのですが、これは殺してから時間がかかっているからで、シルクロードで食べる羊料理はとてもおいしいです。 
 農家の人は自分たちで羊を解体するので、殺されていく羊たちの様子を何回も見ましたが、イスラム教が羊を食べるのを許しているのは、羊の死にいたる様子が、悟りを感じさせ、とても宗教的であるからではないかと思いました。怖がることなく、抵抗する事もなく、声を出す事もなく、見ている仲間の羊たちもおびえた様子もありません。インドの昔話に飢えた旅人のために自ら焚き火に身を投じたウサギの話がありますが、その話を思い出し、「ありがたく食べさせていただきます」という気持ちになりました。
 モスクは入り口の門が独特なので、いたるところで目につきましたが、内部は本当に質素です。私たちがモスクだと思っているイスラム独特の建物は門であり、丸いドーム屋根をくっつけただけの単なる壁で、その奥に、お祈りをする建物があるのですが、田舎の集会所みたいな平屋の建物であって、外見もとても質素で、中にも何もありません。壁に向かってポツンとひとりでお祈りをしている人を見たり、金曜日の12時のお祈りではモスクに入れない人がモスクの外で自分で持ってきた絨毯にひざをついて、お祈りをしていたのに出会ったりしましたが、いずれも静寂の中でゆっくりとした時間が流れていました。
 イスラム教というと攻撃的なイメージがあったのですが、衣食住すべてに宗教が根づいており、仏教の修行僧たちが自分自身の悟りを得るために莫高窟あたりで仏画を描いている間に、民衆の心の拠り所がイスラムに自然に移っていったのではないのだろうかと思いました。


モスク
 中国の西のはずれ、カシュガルの町にあるエィティガール寺院。カシュガルは人口110万人のウイグル人の町。緯度で言うとインドのニューデリーと同じである。中国は広い。


モスクの中

 壁に向かって男性が一人お祈りをしていた。
 モスクの中には何もない。あるの静寂のみ。


コーランを唱えるウイグル人

 衣食住すべてに宗教が根づいていることは、とても幸せなことではないかと思った。


集団礼拝
 毎週の金曜日2時は、イスラム教の集団礼拝の時間、モスクには入りきれないので外でお祈りをする。集団礼拝は男性のみ。女性は家を守る。


羊の解体の様子とシシカバブー
 イスラム教は豚を食べないので料理は主に羊肉である。日本で食べる羊肉は臭くてあまりおいしくないが、これは殺してから時間がかかっているからで、シルクロードで食べる羊料理はとてもおいしい。なかでも、羊肉の串焼きシシカバブーは絶品。 
  


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2008年08月21日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その8)

シルクロードの人々の暮らし

物価と収入

 中国の通貨の単位は「元」で1元は約15円です。タクシーが1km50円、食事は150円から1000円、ホテルが500円から2500円と、物価は日本の5分の1位です。私たちの調査を手伝ってくれた中国科学院生態地理研究所の大卒者の初任給が8千円から1万円で、所長さんの月給が3万円くらいだそうです。
 お土産などは2倍から3倍に言ってくるので値切るのが普通です。

新彊時間

 「中国はひとつ」という事から中国には時差がないことになっていますが、実際は西域である新彊ウイグル自治区は2時間遅れの「新彊時間」で動いています。仕事は「北京時間」の朝10時から夕方7時まで、お昼休みは午後2時から3時までで、「明日の朝は北京時間の9時、新彊時間だと7時に朝食です。」などという会話となります。

 時計の時間をどちらで合わせるかは人によって異なり、漢民族は主に「北京時間」に、ウイグル民族やカザフ民族は「新彊時間」に合わせていることが多いようです。最初は戸惑いますが、中身は同じですから慣れるとそれほど困ることなく生活ができるようになります。鄧小平が言い出した資本主義と社会主義の「一国二制度」の原点を見た思いでした。


砂漠の衣装
 
 「シルクロードでの服装は、紫外線が強いので長袖とズボン、そして帽子は必需品である」と思っていました。実際多くの人はそのとおりだったのですが、流行というものは世界中を駆け巡るようで、女の子が上はタンクトップやキャミソールで肌を見せ、背中には小さなリュックを背負い、下はミニスカートやショートパンツで素足を見せて、そして厚底サンダルまではいて歩いてくるような場面に出くわしました。最初に見たときは本当にびっくりしました。

トイレ

 北京や上海などではほとんど見る事がなくなった、大便をするのにドアに扉がなくて、顔が丸見えの通称「ニイハオ・トイレ」が新彊ではまだまだ健在です。さすがにホテルではドアが付いていますが、招待所と呼ばれる簡易宿泊所や普通のレストランでは水洗トイレでもドアが付いていません。トイレに行ったときにズボンをおろしてリキんでいるところに出くわすと、どうしたものかと戸惑うし、自分がしているときは誰かが来ないかと落着かないのですが、2、3回経験すると開き直れます。
 屋外のトイレの場合は、屋根がなくて1メートル位高さの壁で、いくつかのトイレが仕切られているだけというところも多いです。この場合は日本でいう汲み取り式のトイレなのですが、乾燥地帯である新彊では大便もすぐ乾燥します。ヒマラヤなどで燃料として牛のフンを使うという話があり、今まで「フンを拾い集める」というのがよくわからなかったのですが、これならフンを固まりとしてつかむことができると納得しました。ただし、肉食性の食事をしている人間のフンは乾燥すると、とても刺激的な異臭を放っています。


バザール

 バザールは売りたい人と買いたい人が自由に集まってきて売買をする自由市場であり、商取引の原点です。
オアシスの都市ではまだまだいたるところでバザールが開かれてており、中でもカシュガルのバザールは有名です。
 カシュガルは経度でいえばインドのニューデリーと同じ場所にあり、パキスタンに隣接するイスラム文化の雰囲気があふれている町で、人口は110万人という今なおシルクロードの巨大なアオシス都市です。
このカシュガルで日曜日に開かれるバザールは1日に10万人が集まり、世界最大のバザールと言われています。中でも家畜のバザール会場は圧巻で、見渡す限り羊がうごめいています。足元はフンだらけ、砂ボコリが空に舞い上がっていました。




 なんでも手でつくる。高速道路も手で作っていた。安いというだけでなく労働力を確保するという面でも重要であるらしい。


 ウイグル人は踊りが大好き。男も子供も踊る。そして、とてもエキゾチック。


シルクロードのオアシス都市でも大きな町では若い子たちは普通の格好をしている。


新疆ウイグル自治区においては、女性が顔を隠しているのは宗教的な意味あいより、砂漠の砂除けが目的である。イスラム教の中でも、お酒もたしなむし緩やかな戒律のようだ。


カシュガルのバザールは一日に10万人集まる世界一のバザールである。誇りとにおいがすごい。・・・・もう2度と行きたくない。


バザールで売られていた羊。顔の黒い羊は主に肉用、顔の白い羊は毛皮用であるとのこと。





  


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2008年08月16日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その7)

砂漠の洪水

 砂漠は中国では「沙漠」と書きます。石が小さくなった砂ではなく、水が少ない「沙」であり、「砂」よりもっと小さな粘土が乾燥して粉状になってサラサラしています。(だから、黄砂になって舞い上がってしまいます。)
 日本では「砂が水をしみこむように吸収する。」という言葉がありますが、沙漠に水をこぼすと粘土状に固まってしまい、水を浸みこませることはできません。
 砂漠にもほんの少し雨が降るのですが、雨がしみこむことができないため、集まった水がいたるところで洪水を起こし、道路を決壊させます。





温度と湿度

 新彊博物館でミイラを見ました。ミイラというとエジプトを連想しますが、エジプトとのそれと異なるのは、乾燥していて普通に土葬するとミイラになってしまうことです。だから上流階級ではない一般庶民のミイラもたくさん発掘されます。
 一番暑かったのはトルファン。この町は上海から4000km、地球上で一番海から離れているのですが、一番低いところの海抜はマイナス154メートル、平均高度は24m。すり鉢状になった盆地の夏はとても暑く、冬にはダイアモンドダストが舞います。この寒暖の差と乾いた空気が良質な干しブドウの産地を作り、農家は沿岸部の都市と同じ位の高収益を上げています。
 一方、タシュクルガンという中国の一番西にある街に向かうために通った峠の道は4000メートルもあり、夏というのに雪が降っていました。

トルファンのシンボル、火焔山
 火焔山はウイグル語で紅い山という。西遊記の中で孫悟空が牛魔王を退治して奪った芭蕉扇であおいで火を消した山である。
 この日、寒暖計が47度を示していた。湿度は30%。今でも火がつきそうな暑さであった。


中国の西の果て、タシュクルガン
 シルクロードは中国を抜けるとタジキスタン、パキスタンへとつながる。この先にあるのがパミール高原、平均標高5000m、世界の屋根と呼ばれる中央アジアの高原である。 夏だというのに雪が降ってきた。
 その昔、三蔵法師が通った道である。  


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2008年08月13日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その6)

世界で2番目に大きい砂漠、タクラマカン砂漠

 中国西域、シルクロードが通るタクラマカン砂漠はアフリカのサハラ砂漠に次ぐ世界第2の面積の砂漠です。
 タクラマカンという言葉は、「一度入ったら出られない、死の海」を意味するウイグル語です。
 シルクロードは砂漠の中の道と言うイメージですが、実際は砂漠の周辺部に現れるオアシスをつないでいる道です。
 しかし、砂漠の中から石油が発見され、この石油を運び出すために全長522kmという砂漠横断道路が1994年に作られました。
 砂漠というと照り付ける太陽と真っ青な空がイメージされますが、砂漠の中の道は砂ぼこりが常に舞い上がっていて、太陽が霞んでいます。
 砂漠はどこまでも続く砂山の世界なのですが、時々木や草が生えていたり、川や池が現れたりします。一番大きな川はタリム川で、満面の水をたたえながら砂漠の中を2196キロメートルも流れ、「さまよえる湖」ロプノール湖に消えています。



砂の海
 「シルクロードには一生海を見ない人もいるのでしょうね。」と言ったら、「世界の陸地の1/5以上が砂漠なのに一生見ることがない日本人もいるでしょ。それと同じ。」と言われた。


砂漠の中を縦断する道路
 タリム油田の開発のために作られた全長522km(東京大阪間の長さもある)砂漠横断道路、新彊の石油埋蔵量はアメリカの4倍と言われている。タクラマカン砂漠を10時間で横断できる。高らかに「我、死亡の海を征服したり!」と謳う。(下の左の写真に写っている看板に書かれている言葉。)




さまよえる湖「ロプノール湖」に流れ込むタリム川
 スウェン・ヘディンの「さまよえる湖」をご存知ですか?
 この川の長さは2196km、札幌から鹿児島より長い。この川も砂漠の中をさまよっており、今の場所を流れているのは60年前から。
 この広大な川の水が、やがて砂漠の中に消えていく。ロプノール湖は既にない。いつ現れるのだろうか?  


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2008年08月06日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その5)

現在のシルクロード

 シルクロードといえば、三蔵法師やマルコポーロの世界であり、井上靖の小説やNHKの番組でからは古代ロマンの世界を感じさせます。しかし、埋蔵量がアメリカの4倍という石油を始めとする豊富な地下資源に恵まれており、経済成長を続ける中国のフロンティアとして、現在でもたくさんの人が集まってきています。
 区都ウルムチは砂漠の中のオアシス都市ですが、160万の人々が暮らし、高層ビルの中をハイウエイが縦横に走っている大都市です。モスクワまで行く列車が走り、パキスタンやカザフスタンとは定期バスで結ばれています。ウルムチからイーニンにかけて伸びるシルクロード天山北路ルートは、現在は国道312号線と呼ばれるアスファルトの道路となっており、その横には高速道路が建設中です。現在のシルクロードは石油や工業製品を載せた大型のトラックが猛スピードで黒煙を出しながら走っている経済ロードです。



シルクロードはまっすぐな道である。
 オアシスを結ぶ道はひたすら真っ直ぐで、一直線に地平線のところまで伸びて、最後に点となっている。
 2000mの山に向かう道を走りながら、「これから、あの山の向こうに行きます」といって、そのまま本当に真っ直ぐに上っていった。正直びっくりした。


天山北路
シルクロードは3本のルートがあり、一番北の天山北路は現在は石油関係のトラックが行きかう工業道路に変わっている。



国際列車
モスクワから中央アジア(カザフスタン)を通って北京へ行く国際列車。一日2便。鉄のシルクロードである


西域南道
シルクロードは3本のルートがあり、一番北の天山北路と真ん中の天山南路は工業道路に変わっているが、タクラマカン砂漠の南を通る、いちばん南の「西域南道」は今もってシルクロードの雰囲気を色濃く残している。

  


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2008年08月04日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その4)

砂漠のオアシス

  オアシスというと砂漠の真ん中に水が湧き出す泉があり、その周辺に緑豊かな小さな集落が作られ、交易に依存した商業都市というイメージですが、現実は大きく異なります。
 三つの山脈からは、雪解け水によってたくさんの川が流れており、この川が砂漠に入る手前にオアシスが作られています。川の水は豊富であり、地下水も湧き出るのでオアシスは大農業地帯となっており、小麦、トウモロコシ、綿花、大根、ジャガイモ、リンゴ、ブドウ、ナシなどの農作物も牛、豚、羊、鶏などの畜産物も、食生活に必要なあらゆる物が作られて、新彊ウイグル自治区は食料を100%自給しています。
 コメも作られており、見渡す限り水田が広がっているような場所もあります。砂ぼこりを防ぐためにポプラが植えられているのですが、道の両側のポプラの並木が50kmも100kmも続くような巨大なオアシスもありました。

 それぞれの川ごとに砂漠の手前のところにオアシスが作られていますので、オアシスを結ぶ道は、砂漠の中というより、砂漠の周辺部をつないでいる道です。ところどころに低木や草が生えている荒原の中を、ひたすら走っていくと、ずっと向こうからポプラの森が見えてきて、それがオアシスです。

 オアシスとオアシスの間はこんな感じのまっすぐな道が延々と続きます。シルクロードは砂漠の中ではなく、砂漠の縁をつないでいるのです。


オアシスはとても広いです。中には農業地帯が広がり、砂ぼこりを防ぐためにポプラが植えられています。


 オアシスの中には水田も広がります。向こうに見えるのは天山山脈、世界の屋根に積もった万年雪の雪解け水が湧き出た水田のお米が美味しくないわけがありません。


 一面のヒマワリ畑。ひまわりの種から油をとります。経済的に儲かるのはハミウリ、綿花、トウモロコシ、ヒマワリ、小麦の順です。


 街角の八百屋と市場の野菜売り。
 シルクロードのオアシス農業はとても豊かです。




  


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2008年08月01日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その3)

一番驚いた出来事




 長い長い砂漠の道を超えるとそこにはポプラの並木に囲まれてウイグル人の町があった。男性はイスラムの帽子をかぶり、女性は民族の服に身を包み、ロバ車と馬車が行きかうその町は異次元の町に入ってきてしまったかと思った。
 しかし、長い長い旅の中で驚くこと、不思議なことがあまりにも多くあったので、「広い世界、いろいろな町、いろいろな人、いろいろな生活があっても別にいいんじゃないか。」そんなふうに思える自分があった。

一番感動した出来事




 農業の調査である村を訪れ、そのあと歓迎の宴を開いてくれました。
 その宴は村長さんのこんな言葉で始まりました。

 「遠い日本からおいで下さいましてありがとうございます。
 砂漠の中の何もない村ですが、ここにある野菜も果物もコメも小麦も肉も魚も、それから砂糖、ビール、ジュース、クッキー、すべて私たちの農場でとれ作ったものです。どうぞゆっくり食事をしながら楽しんでください。」
 そして、楽しい食事会が長い時間続きました。自分はすごい贅沢だと思いました。


 (追加)

 実は自分が起業しようとしている、「自分で育てた野菜を、直接自分でお客様に、思いを添えてお届けする。」という農業スタイルの原点はここにあります。
 遠い遠い砂漠の国で、 「いったい食することのしあわせって何なんだろう。」「農業の目的って何なんだろう。」と何回も何回も自問自答しながら考えたものでした。
 「しあわせ野菜学園」というのもこの考え方からつけた名前です。
 
   


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2008年07月29日

シルクロードのオアシス都市を訪れて(その2)

 新疆ウイグル自治区の中心都市、ウルムチ



 シルクロードのオアシス都市は過去の歴史ではありません。地下資源と土地に恵まれた新彊ウイグル自治区(中国におけるシルクロードの舞台)は、経済成長を続ける中国の現在においてもフロンティアであり、たくさんの人が集まってきています。
  また、オアシスというととても小さな湖と数本の木々をイメージしますが、規模はとっても大きいです。新疆ウイグル自治区の区都ウルムチは砂漠の中の巨大なオアシス都市で、人口は160万人、高層ビルの中をハイウエイが走る大都市です。
 片側3車線のハイウェイの向こうにホリディイン・ホテルが見えます。


シルクロードの風景
   おまりにも広大で圧倒される。




 
砂漠の船、ラクダ 
   シルクロードのラクダにはコブがふたつある。





ウイグルの少女
 花がすりの民族服がとってもかわいらしい。




毎日の夕食
 北京ダック、烏骨鶏のスープ、スッポンと朝鮮ニンジンのスープ、ピータンの鶏肉巻、カエル、ハミウリ、ライチ、ブドウ、地元産のビールとワイン・・・・・・・何でも出てくる。シルクロードは食材の宝庫である。 



  


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2008年07月26日

シルクロードのオアシス都市を訪れて

 「海外農業研修の思い出」第2報   ・・・  シルクロードのオアシス農業

 数年前に静岡大学農学部の学術調査隊に加わり、1ヶ月間中国の新彊ウイグル自治区に行ってきました。
 この調査隊は「農学の立場から、中国の少数民族の衣食住を調査し、自然と人間との関わり方を考えてみる」というもので、過去3年間で雲南、チベット、広西、貴州、甘粛などの調査を行っており、私が参加した新疆ウイグル自治区が最後の訪問地でした。 

 西安の町の様子 西安は隋と唐の首都、国際都市として有名な長安、シルクロードの終着点(出発点)です。名古屋空港から2時間30分で上海へ、そこから乗り換えて2時間で到着しました。
 そして次の日2時間30分の飛行機の旅の末に砂漠のオアシス都市、新疆ウイグル自治区の区都ウルムチに着きます。

 兵馬俑
 西安の郊外にあります。 現地で見ると、その広さに圧倒されます。始皇帝の偉大さは並大抵じゃないんだなぁと実感しました。
 まだ、発掘は続いていて、行った前日に彩色された像が出てきて大騒ぎしていました。







 新彊ウイグル自治区は、かつて「西域」と呼ばたシルクロードの舞台です。清の時代に漢民族の支配に入り、「新彊」と呼ばれるようになりました。「彊」という字は、騎馬民族をあらわす「弓」、農耕民族をあらわす「土」、アルタイ山脈、天山山脈、コンロン山脈をあらわす3本の「一」と、それに挟まれたジュンガル盆地とタリム盆地の2つの「田」を現しています。
 「田」といっても、ほとんどは砂漠であり、特にタリム盆地の中にあるタクラマカン砂漠は、アフリカのサハラ砂漠に次ぐ世界で2番目に大きい砂漠であり、日本の国土と同じ面積を持ちます。
 人口は1600万人で、ウイグル民族が45%、漢民族が40%、残りの15%が回族、キルギス族、カザフ族、タジク族、蒙古族などと多民族が住む地域です。ウイグル、カザフ、タジクはトルコ系の言語を持ち、多くの人は中国語を話せません。宗教はイスラム教です。






  


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2008年06月27日

花の都、パリ(その2)

パリのマルシェ(朝市)









 パリの街中では日常的にマルシェ(朝市)が開かれています。マルシェは、いわゆるファーマーズ・マーケットです。

 販売しているのは農家の人です。
 近年、日本では道の駅などでファーマーズ・マーケットが人気を集めています。しかし、。農家の人は持ち込んではいますが、販売はしていません。売っているのは農場を全く見ることのない人たちです。農家の人が農産物を作った思いを乗せて直接売るのがファーマーズ・マーケットであり、日本のそれは本当の意味でのファーマーズ・マーケットではないと思います。(生産者の写真を張って「安全で安心」をアピールする方法以外をそろそろ考えないといけないと思うのですが・・・)

 写真のファーマーズマーケットは、有機農産物だけの朝市(マルシェ)です。パリの中心部のこの場所で、毎週土曜日に直接農家が有機農産物だけを持ち込んで朝市(マルシェ)が開かれています。店の数は50以上、大変な賑わいでした。
 日本で感じる以上に有機農産物は一般的です。  


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2008年06月23日

花の都、パリ(その1)

ドイツのミュンヘンからフランスのパリまで、国際列車に一人で乗り9時間かけて移動しました。
この間、いくつかの町に停車し、たくさんの人が乗り降りしましたが、いつ国境を越えたのかまったくわかりませんでした。ヨーロッパはひとつなんだと改めて実感しました。










 日本では知人の家を訪れるときや旅行帰りの時の手土産はお菓子ですが、ヨーロッパではそのような時に花を利用するのが一般的のようです。でも、おしゃれというより”無難だから花を贈る”という感じのようです。街角のいろいろな場所に花屋さんがありますが、日本でいう和菓子屋さんと同じなのだと思います。(そんな感じで花が生活に根付いているともいえます。)
 花の品質は日本の花の方が明らかに優れています。値段的には日本の花より3割から5割くらい安いです。

 右の写真はベルサイユ宮殿に隣接するルイ14世が作らせた農園です。建物や壁やフェンスを当時のままに残し、文化遺産として農園を国が維持管理しています。フランスにおいては農園も文化なのです。偉大なり、フランス!!  


Posted by しあわせ野菜ガルテン at 23:39Comments(0)11、海外農業研修の思い出